トップページ >証し(体験談) >詩篇の賛美を通して現わされた神さまの御業~証し(体験談)
2015年3月15日、オンラインで東京アンテオケ教会の礼拝メッセージを聞いていたときのことです。 -「『詩篇53』の賛美を通して完全に解放され、自殺を留まった方がいました。」 私は驚きと共に、深い感動を覚えました。
主の十字架クリスチャンセンターでは毎年、新しい賛美が生まれています。国内外の各地で作られた賛美が10月に1冊の歌集となり、礼拝やゴスペルコンサートで用いられています。賛美を作るという働きに関しては、私自身、神さまから与えられた使命として受け取り、数年前から携わらせていただいています。 2014年の歌集制作に向けて思いを巡らせていた頃、同じく賛美の働きに携わっている方から「詩篇に曲をつけてみたらいいよ」と言われました。詩篇とは、旧約聖書中の1巻であり、150篇の詩から成るものです。 詩篇に曲をつけるという取り組み自体は、既に他の方が始めており、礼拝の中でも歌われていました。正直なところ、初めはあまり関心がなかったのですが、「応募曲数を増やしたい」、また、「新しいことをしたい」という気持ちに後押しされ、チャレンジすることにしました。
詩篇に収められている詩には、長いものもあれば短いものもあり、内容も、喜びに満ちたものから、厳しい教えのようなものまで様々です。制作にあたり、短い箇所や美しい言葉が並んでいる箇所は競争率が高いはずと判断し、「曲を付けやすく、且つ誰かとかち合わない箇所」にしようと考えました。そして、適当にページをめくっては、リズムを取ったりピアノを弾いたりしながら歌ってみて、行き詰まったら次に行くということを繰り返しました。 しばらくすると、53篇が目に留まりました。私は思わず笑ってしまいました。歌い出しが、「愚か者は心の中で『神はいない』と言っている。彼らは腐っており、忌わしい不正を行っている。」なのです。礼拝賛美でもコンサートでも、歌われるイメージが全く湧いてきません。即、検討対象外だと思いました。 しかし、コードを弾き続けてみると、どんどんと曲になっていくのです。まるで、初めから用意されていたかのように、言葉に合うメロディーが口から出てきました。予期せぬ展開に、私はすっかり楽しくなってしまいました。何処で歌われようと歌われまいと、今、作ることを全力で楽しもうと思いました。厳しい歌詞にマイナーのメロディーという組み合わせにも関わらず、終始わくわくしたまま、「詩篇53」は完成しました。
私が教会に行き始めたきっかけの一つは、友人を通して、教会主催のゴスペルコンサートに招待されたことです。音楽には興味があったものの、それまで、賛美に触れる機会はほとんど無かったこともあり、「とりあえず行ってみよう」という軽い気持ちでコンサート会場へ向かいました。 初めて聞く賛美はとても心地よく、あたたかいものでした。きれい事や上辺の優しさではない、心の深い部分に触れる歌詞であり、何か、私の心の内を知っている大きな存在があるように感じました。 高校生の頃、私は父親を自殺で失いました。突然の出来事に家族は失望し、父を憎み、親族は責め合いました。私の心にはぽっかりと穴が空いてしまい、何かに感動したり共感したりすることが出来なくなってしまいました。残された家族と支えあって、頑張って生きて行かなければと思う一方で、人は結局死んで無くなる存在だという思いが頭から離れず、自分の存在や生きる目的がよく分からなくなっていました。 しかし、賛美を通して教会に通うようになり、十字架の恵みと生かされている意味を知り、私自身も、賛美を通してその恵みを伝えたいと思うようになりました。
ローマ人への手紙8章28節に、「神がすべてのことを働かせて益としてくださる」とあります。暗い過去があり、賛美を通して心に解放を受けたからこそ、「詩篇53」を通して尊い命が守られたことは、私にとって非常に深い慰めとなりました。神さまが御言葉通りに御手を動かし、大切な命を守ってくださったことを覚え、心から感謝しています。 そしてこれから、賛美を通して更に素晴らしいことが起こることを、神さまにあって期待しています。全ての栄光を、愛する主にお返しいたします。
松本 彩(聖なる都久留米教会)
不登校の問題の只中におられる方、また、お子様の不登校の問題でお悩みの方 神様に、重荷を預けてみませんか? 神様は、今も生きて働いておられ、祈りに応えて下さる方だからです。 教会では、他にもたくさんの方が、不登校の問題の解決を受けています。あなたも、ぜひ教会に来て、生きて働かれる神様を体験してみませんか? 教会では、あなたの問題の解決のために、お祈りします。
「大会衆の中での私の賛美はあなたからのものです。」詩篇22篇25節